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ふしぎ発見

こんにちはひたちなか市のグレース鍼灸整骨院です。この間水戸の植物園に行ってきました、その中で江戸時代の水戸藩の医学や医療、薬草が書いてあるパンフレットを読んで江戸時代の医療はどんな感じなのか興味を持ったので調べました是非お読み下さい。杉田玄白や華岡青州だけじゃございません。水戸にも医学に貢献した人がたくさんいます。

水戸藩の医学は藩医の原南陽•本間玄調により発展します。まずは江戸時代の医療についてお話しします。江戸時代の身分制度のなかで医師だけが例外で農民や町人、養子の口もない武家の子など身分に関係なく、なろうと思えば誰でもなれる時代でした笑。もともと僧侶が学識を活かし医療行為を行なっていた名残で坊主頭の医者が江戸時代の初期は多かったようです。通常、将軍家には侍医(じい)と呼ばれる医者がいて、各大名にもお抱えの藩医が存在し病の治療に効果をあげると高い地位に着けたりしたみたいです。

「高い治療効果を上げる医師には、高い録を与えるな。高い位階を与えよ」と徳川家康の遺訓にあったみたいです。

診療科は内科は本道と呼ばれ他の科より権威があり、外科、眼科、口科(歯や喉を診察)産婦人科、小児科、鍼灸科もありました。

水戸藩の藩医、原南陽は父は水戸侯の侍医であり、京都で学び江戸で開業しましたが生活は苦しくその時、鍼灸や按摩によって生活を立てていました、いろいろと苦労しましたが水戸藩の範医になりました。代表的な本は『叢桂亭医事小言』これは南陽による口述を門人が筆記したものです。

『砦草』は軍事上大切な医学の心得を書いたものです。『経穴彙解(けいけついかい)』ツボについて述べたものがあります。南陽が創った処方の中には「乙字湯」のように現在も痔の特効薬としてた高い評価をされているものもあります。

下の写真が原南陽

原南陽

次は弘道館の名医『本間玄調』を紹介いたします。玄調は江戸に出て原南陽から教えを受ける中で今までの医術に頼るのではなく外国の医学も良いと思うものは進んで取り入れようとする柔軟な姿勢で学びました。そうですいつの時代もこういう人が現れるんですね笑。

そして、当時新しい外国医学を学んだり、さらには天然痘を防ぐ種痘の医術を身につけるため、長崎に行き、ドイツ人のシーボルトに学びを受けました。
こうして玄調は水戸藩での種痘に関わり水戸の医学の発展に貢献しました。
余談ですが子息には「医は術たり。ただこれ一に仁のみ」と教え、水戸藩第九藩主の徳川斉昭には「救」すくうの名が贈られています。

本間玄調

今回は江戸時代の医療制度や水戸の医学に貢献した2人を紹介してみました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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